2012年8月24日金曜日

 - 『北村太郎の仕事』から -



  月祀る日を地下室に眠りをり     青山茂根



 猫を描いた一連もある、詩人の北村太郎の、随筆などのとりとめのない文体が好きで、ときおり拾い読みする。その中に、俳句について書かれたものがいくつかあった。

    自由率と定型

  たまに剃つた顔ぢかに空が青い      海藤抱壺(かいどうほうこ)

 (略)
 掲出句は偶然十七音ではあるが、「たまに剃つた顔」が八、「ぢかに」以下が九で、これではむろん定型とは言えない。無季であるが、感覚的には冬と受けとれる。『海藤抱壺句集』でも紫苑と八手の花の句のあいだに置かれている。「ぢかに」が平俗ながら鋭い措辞で、一読、忘れ難い印象を与える。
 自由律の俳句は一行詩と言い換えてもよいくらいに思われもするが、しかし、やはり俳句なのである。尾崎放哉の「せきをしてもひとり」とか、山頭火の「うしろすがたのしぐれてうゆくか」など周知の作品は、詩心がひたすら<俳境>に向いていることを明示している。定住しようがしまいが、漂泊の志という一点だけからみても、彼らは芭蕉や一茶の流れにつながっているのだ。
 定型の俳人たちにすれば、季語も五・七・五も墨守しない作家を俳人と呼ぶわけにはいかないだろう。自由律はうまくいけば新鮮、へたをすればクサくもなる。抱壺、放哉、山頭火はその間の平衡を保った稀な俳人というべきか。
      (『北村太郎の仕事2 散文Ⅰ』  北村太郎  思潮社 1990)- 初出は、「読売新聞」1986年12月掲載<俳句という器>。

 海藤抱壺、最近はあまり語られることのない自由律の俳人だが(とはいえ、「俳句あるふぁ」2011年2-3月号、「俳句界」2011年5月号にそれぞれ取り上げられているが、未見)、この文章が書かれた数年前に『海藤抱壺句集』が刊行されたようだ。北村太郎の述べたような、「漂泊の志」を病床からの視点として持っていた作者だろう。また、季語を本来の意味として使用した句が多いようにも見受けられる。境涯性だけではなく、より近代的な心情や濃密な季節感を感じさせる句もあり、他の自由律俳人とは多少異なる方法論であったのかもしれない。海藤抱壺については、こちら(「草原」)のサイト、を参照。山頭火が抱壺を詠んだ句、「風鈴鳴ればはるかなるかな抱壺のすがた  山頭火」「抱壺逝けるかよ水仙のしほるるごとく  山頭火」などある。また、生前に出版された海藤抱壺の句集、『三羽の鶴』から。

  寝てゐると空から桜がさいた       海藤抱壺

  風も雲もまだ芽ぶかない

  黒い塀におもひ出のやうな蝶がきた

  わが心のやうな林檎があるナイフのそば
    
  かげのない日の柿をもいでしまふ

  今の波音はこの心臓の夢か

  アンテナをいくつもいれた虹です

  秋風のやうなオブラートたべてゐる
 
  夕陽が蜂の巣にさはり長い一日     

  そつと首を出すみのむしと夜ふけてゐる

  かつこう鳴く日となつて遠くにもかつこう

  ちぶさだけがおばあさん

  秋の水となり枕べにもある

  カーテンのかげ星と風ときてゐた

  掃くにははや土にならうとする落葉もある

  死をおもへば透明にしてうぐひす
  
  蛍もらへば一人ふけてゆく

  下駄の下のこほろぎ葉書なら出しに行けさうな

  ゐないやうなわたしがゐる八手咲いてくる 

  云はずによかつた口へ松の実わつてゐる

  クリストの齢なるこそ女に触れぬ我身こそ

  夕風ゆきわたりうちはもつてゐる

 
  (句集『三羽の鶴』については、そねだ ゆ氏がweb上に転載されていたものから引用させて頂きました。さまざまな情報を収集してあり、大変参考になりました。ありがとうございました。)