2012年5月26日土曜日

― マッチ棒の感触 ―             青山茂根



  そういえば、幼い頃ポーカーにはまった時期があって、といっても家族や知人と勝負する程度の他愛のないものだったが、ハウツー的な本を買ってもらって様々な手を覚えることに熱中していた。もうほとんど忘れてしまっているのだが、局面での駆け引きや、子どもながらに勝負に出るときの表情(いわゆるポーカーフェイスというものですね)など、ふと蘇ってくるものがある。あのまま博才があれば今頃は、などと。残念ながら現金を積むことはなかったが、あのマッチ棒で賭けていく感触、わかる方もいるだろう。

 ブルガリア=ドイツ=ハンガリー=スロベニア=セルビアの合作による映画、邦題『さあ帰ろう、ペダルをこいで』(英原題;The world is big and salvation lurks around the corner)は、バックギャモンと、二人乗り自転車によるロードムーヴィー、そして難民の物語。ソ連時代のブルガリアの人々の苦しみ、政治的亡命者の悲哀が、子どもの成長と、ボードゲームの勝負を通して描かれる。オープニングにふと映った、風力発電の設備にもはっとする、現在の我々としては。ずっと昔から、路上やその辺のカフェで親しまれてきたボードゲームが、ストーリー展開の鍵ともなり、その勝負師としての格言めいた言葉たちも印象に残る。困難な状況を描きながら、涙を誘う描写にあえてしていないのも好感だった。昨年、非常に重いテーマを描きつつ、壮大なエンターテイメント映画として傑作だった『アンダーグラウンド』の俳優が主演している。この俳優が旧ユーゴ出身であるばかりか、監督・脚本のステファン・コマンダレフはブルガリア人でしかも私と同年生まれ、さらに、原作・脚本のイリヤ・トロヤノフは1965年生まれでブルガリアから実際に幼くして両親とともにドイツへ亡命している。この映画の緻密な構成や設定のリアリティは、原作者自身の、ブルガリア~ユーゴスラビア~イタリア~ドイツと逃れた難民体験によるのだろう。同年代の人間が、これほどの過酷な体験をしてきていることに、いまさらながら歴史は生きているものであることを思う。「バルカン半島」という語を、歴史の教科書以外で眼にしたようにも。ほんの少し、織り込まれた恋愛のシーンがありきたりでなく美しく、胸をとらえるみずみずしい映像となっているのは、製作者自身の青春の残光なのかもしれない。

 バックギャモンについては、こちら(日本バックギャモン協会のサイト)。古代エジプト時代からあるゲーム、ツタンカーメン王の墓からも発見されており、日本には奈良時代に渡来し、「盤双六」の名称で大流行したそう(映画公式パンフレットより)。平安文学はおろか、日本書紀にも登場するとは。聖武天皇のご愛用品と伝わるものが正倉院宝物に!遊びたくなってきた(こちらはPC上で遊べるもの。あの、鳥獣戯画の動物たちがお相手を?!)

2012年5月11日金曜日

― 音の陰影 ―                青山茂根



 東京国立博物館で行われている、「ボストン美術館展 日本美術の至宝」展も素晴らしいのだが、敷地内の建築を見て廻るのも楽しい。特別展会場の平成館は外観より内装のほうが見事ながら、その喧騒を少し外れると、あまりひと気のないなかに、静かにそれぞれの建物を鑑賞できる。緑の木陰を散策しつつ。

 明治末に建てられた、旧東京帝室博物館を前身とする表慶館は、鹿鳴館の華やぎを彷彿とさせる青銅色のドーム屋根が美しいが、残念ながら現在休館中(内部はこちらのブログから少しお借りして)。多少の障害物はあるが、たくさんの馬車が乗りつけたであろう、その美麗なファサードを眺めることはできる。

 ニューヨーク近代美術館新館と同じ建築家による、法隆寺宝物館は、その前庭からして、人を静寂な気分にさせる造り。伝統的な枯山水の精神を逆発想にして、水とその表面張力による直線を使って表現したものと感じた。本館の重厚さも好みだが、この現代的な外観、内装や展示方法の細部まで一貫した美意識に貫かれた設計がなんといっても記憶に残る(ある方のブログに詳しくあったので、お借りして張らせて頂きます)。モダンながら和のエッセンス、日本的な細い縦格子のモチーフや随所に配された木の質感に、見えない霧を浴びるような錯覚にひたる。

 冒頭の写真は、本館にある、ステンドグラス。本館は、建築全体の趣きも和洋のテイストを取り込んでいて一見の価値あり、しかも内装が随所に面白く、特にこのステンドグラスの色合い、伝統的な美感によるものといえるだろう。欧州の日照時間の少ない暗い冬には、華やかな彩りのステンドグラスが映える、しかし、日本の晴天の多い冬、年間を通して日照時間の長い土地柄には、くすんだ色のステンドグラスも何か心に沁みるものがある。現在、2階で行われている「日本美術の流れ」展もぜひ見るべき。一日かけないと見尽くせないほど充実した展示。しかも空いている。




 そして、展示室から展示室へ渡る途中に、ふと目にとまったもの。片隅には、昭和の頃に使われていたダイヤル式の黒電話が。しかも現役で。その上の壁に目をやると、打ち付けられた板に、「構内電話 外部にはつながりません」の墨字とともに、錆びた螺子と掛けるための穴。きっと、ここには黒電話より以前に、壁掛け型の電話が取り付けられていたのではないか、などと想像を膨らます。赤瀬川原平氏が観察を始めた、「超芸術トマソン」が建物のあちこちにまだひっそりと息づいているかも。と、黒電話の鳴る音が、石造りの建物に静かに響いた。柔らかな響き。リリリリーン。





(写真は全て館内職員に確認の上、撮影可能箇所のみで写しています。)