2011年2月4日金曜日

 ― 伝書鳩のゆくえ ―

 夕方の空が、潤んだ明るさを含んだまま暮れてゆく日は、もう本当の春が近いように。暦の上で立春を迎えても、まだ雪や政治の闇に閉ざされているところも。そんな、遠い地に思いを馳せる、というより幽体離脱のように気持ちだけがあちこちへ飛ぶことの多い一週間が過ぎた。そんな人が、きっと多かったはず。

 衛星放送局Al Jazeeraがエジプト情勢を世界中へ配信したリアルタイムの映像、それを見た人々の反響を、Twitterで知る(そのときテレビは何をしていたか?何も映しちゃいない)。イタリアのチームへ電撃移籍を果たしたサッカー選手の速報(自分の好きなチームの選手だったのもある)、そしてその選手へ宛てたイタリアの一市民の手紙は、Facebookで話題になり、翻訳されたものが日を置かずTwitter経由で届けられた(翻訳した日本人の肉声で読み上げられたものだった)。JR北陸本線で、複数の特急列車が大雪で立ち往生し、多くの乗客が2日間を列車の中で過ごす、そこに閉じ込められて2日目の夜を迎えていた歌人の方がひとり。その書き込みを読んだ或る歌人の方の呼びかけで、Twitter上に励ましの歌が同じハッシュタグを使って寄せられる(これはすでにまとめられ、後からでも読めるようになっている)。全てがTwitter上を絵巻物のように展開し、リアルタイムに反応が起こり、様々な思いが駆け巡っていった。近くに行って何かをすることはできないけれど、綴られた言葉に現状を思い浮かべ、言葉に想いをのせて書き綴る、その力強さ。自分はただ無力に、PCの前に座っている一人ながら。

  この腕を離せば誰かを噛むゆゑに
       もがくひとりの自由を奪ふ  小早川忠義     

  見えぬ眼を見開く時に青年は
       伝へられざる怒りあらはす     

  歩めざる足もたくまし意に添はぬ
       靴を飛ばして弧を描かせつ     

  足元の鳩一斉に飛び立てば
       つひにつかめぬ こころと知れり   〃

    (『シンデレラボーイなんかじやない』 
            小早川忠義   邑書林 平成22年)


 頂いた歌集から。短歌のことをあまり知らなくて、ただ惹かれた歌を挙げさせて頂いた。この一連の歌が、どのような状況で詠まれたものかの説明はないのだが、なんとなく、そのとき詠み手の従事していた仕事場が思い浮かぶ。そこに暮らす人々の、声にならない訴えのような感情も、動作に籠められた思いも。これも言葉の力か。あとがきには、この歌集が、出版元の人間と、<「ツイッター」にて相互フォローの関係にならなければ実現しなかった>と書かれていて、うーん、現代に暮らす人々の交流ってつくづく不思議なものだ、と。現実に会ったことはなくても、ときに寄り添うような言葉を媒介にした繋がり。手元から飛び立つ鳩さながら。

2 件のコメント:

  1. 拙歌集を取り上げて頂き、ありがとうございます。
    20年前に勤めていたところの職場詠。体から出た当時はもう少し苛立ちを含んだ文体であったはずですが、歌集を纏めるにあたって大いに作り直しています。

    ことばの伝達。手段の違いは昔と今で違っても「伝えたい」「共有したい」という思いこそがそれを可能にする力足りうえているのではないでしょうか。

    返信削除
  2. たゞよしさま

    恣意的な引用になってしまってすみませんでした。
    ひとつの章の中からのみ歌を挙げさせて頂きましたが、
    違ったテーマの歌にもたくさん心ひかれるものが
    ありました。
    少し時間をおいていることで、また読み手に
    伝わってくる言葉にもなっているのかもしれないですね。
    歌の力、を感じたこの一週間でした。
    ありがとうございました。     青山茂根

    返信削除