2010年11月5日金曜日

 -― 人生変えたい? ―

 
 未知なる食べ物との遭遇は、いつも胸躍るもので、といっても流石にゲテモノに挑戦するのは控えている。ベトナムは爬虫類から両生類、昆虫関係までかなり豊富という話だが、私が行った数日前にそういった飲食店もある巨大市場界隈で外国人観光客の強殺事件があったとかで、現地旅行社の人に止められたので行っていない。いえ、正直なところやはり見た目も美味しそうなものが食べたい。意思が軟弱なだけだ。未踏の地の未知なる味に常にふらふらと吸い寄せられてしまうのだが、いまだ蝙蝠のスープさえ体験していないのは少し恥ずかしい。

 旅先でつい、アジア各地の料理店を探してしまうのは、やはりアジアの片隅である日本に育った者の胃袋がそちらを求めるからか。欧州などで、タイやベトナム、中国料理などの高級店に入ってしまうと、ヨーロピアン向けの味にアレンジされていたりして外す場合が多い気がするが(その国の人々が住む移民街にある店は簡素でも味は本場っぽく美味。しかもお財布に優しい)、インド料理は東京以外なら(東京は外す店多し!怒!)、自分が行ったことのあるいくつかの国の大都市においてではあるが、どこもアジア人には満足いく味であったように思う。つまりどこの国に行ってもインド料理屋を見つけると入らずにはいられない習性らしい。そしてどこの大都市にもなぜかインド料理屋の看板は見つかるのだ。(あ、ユダヤのサンドイッチ、ピタに挟んだファラフェルも大好物。先日のワールドカップ中継のとき、オシム氏の解説の様子がツイッター上で流れていたのだが、中継時につまむメニューのラインナップに、スシの翌日ファラフェルサンドが登場したときは、おお!と感動した。たぶん私以外誰も覚えていない?)

 なのに、インドへは一度も行っていない。学生時代から周囲にはインドを旅してきた人ばかりで、学生の貧乏旅行からマハラジャの宮殿ホテルを渡り歩いてきた親世代までいろいろ話だけは聞かされてきた。「インドへ行くと人生変わるよ」という言葉も以前よく聞いた。昔なつかしのチューリップという音楽グループが再結成をしたときに、「この人はインドへ行っちゃって、そのままなんですよ」と財津和夫に紹介されていたギタリストがいたが、確かにそんな、インドへ行って人生変わっちゃいましたといった風貌だった。本当に、「人生変えたいんだー」と言って出かけて行った友人もいたが、その後も会社員は続けていたような。いやあれはどろどろの恋愛関係をなんとかするためだったのかも。ま、そういう状況での場面転換的にも、使われるツールがインドへの旅であった気がする。同様に使われていたものとしては、「ちょっと、ネパール行ってくる」もあったが、どちらも私は訪れていない。

 やはり絶版になっている本ながら、インドといえば!というのが、『星降るインド』(後藤亜紀 著 講談社 1981)。単なる旅行記ではなく、2歳と6歳の子供を連れてインド大使館勤務の夫とともに現地で暮らした記録であり、様々なカーストの人々と、時に友人として、使用人を雇う側として、関わった事実が描かれている。それぞれの階級に、職業に属する人々の考え方、日々の食物や幼いものの成長を通して、見えてきたありのままの姿は、生半可な知識や偏見を吹き飛ばしてしまう。もちろん、その書かれた当時とは時代も違うし、世界的にIT化が進んだ現在には当てはまらない面もあるのかもしれないが、根本的な人々の考え方は、この著者が体験し、見つめてきたままなのだろうと思う。何度も読み返し、そのたびに、「いつか行くぞ!」と思っているだけの臆病な読者ながら。


  菊人形の中にアダムとイヴ探す      青山茂根   

       

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