2010年4月3日土曜日

スノーシューの雪上ハイキング   広渡敬雄

山笹の擦れあふ音の春めきぬ       広渡敬雄

今年の二月、仙台の近郊の船形山で高齢の登山者が遭難した際、翌朝の捜索隊の全員がスノーシューで入山していた。以前ならば、樏であっただろう。
樏(ワカン、輪かんじき)は、古今から雪国での生活に不可欠なもので、竹や木を曲げて作られていたが、今は、金属製のものが多い。

   樏をはいて一歩や雪の上   虚子

最近、スノーシューでの雪上ハイキングが静かなブームである。
特に奥日光の戦場ヶ原~湯元温泉あたりは、二月から三月にかけては、ハイカーが絶えることがない。
スノーシューは、特に練習や訓練をせずとも、たやすく雪上を歩きまわることが出来るし、誰も踏んだことない雪原を、どこ構うことなく歩き回れる。
そのことで、最高の開放感が味わえ、皆自然と笑顔となるから不思議である。

筆者も、雪山や雪原でこれまで樏、アイゼンを使用してきたが、雪原ではスノーシューに限ると思い始めている。接地面積が広いため、新雪でもそう沈まないし、かなりの硬雪も裏側の金属製のツメで滑りにくい。

山登りでは、やはり山に登ることに集中し、呼吸も乱れるためか、休憩時以外には、余裕をもって周りを観察することがないが、スノーシューの場合は視覚、聴覚、臭覚を自然に委ねることで、おのずから自然の方も自分に集まって来る感がある。

三月中旬、奥日光・戦場ヶ原は雪がかなり少なくなっていたので、その奥の小田代ヶ原まで足を伸ばした。
戦場ヶ原南端の赤沼パーキングから雪解けでやや水量の多い湯川に沿ってしばらく歩く。

  折れ羊歯の浸りて動く雪解かな  

湯川には、番の鴨がのんびりと遊んでいた。
冬季には氷点下20度以下にもなるこの地で、大丈夫かなと心配もしたが、彼らにとっては要らぬお節介だろう。雄の青首が印象的だった。

風のない氷点下20度の朝は文字通り「ダイヤモンドダスト」の世界だという。
是非一度は見てみたいものだが、最近は冬季でも滅多に見られないそうだ。
湯元温泉方面への人気コースの分岐を過ぎると一気に静寂の世界となる。
橋を渡ったところで、膝までのロングスパッツとスノーシューを装着する。(※写真①)









スキー同様ビンデングで靴をスノーシューに装着するが、靴が登山靴なので、スキー靴のような圧迫感がなく開放的で良い。
といっても、第一歩目は少々浮き上がった感じもするが、もう二歩目は足になじんでいる。

大きなみずならの樹が、雪が融けて顔を出した笹原のなかに立ち現れる。
葉を落とした高枝に、やや薄緑のやどりぎが眩しい。
やどりぎはこの季節しか太陽を独占出来ないためか、精一杯生育しているようで、早春の色を発散している感もする。

    やどりぎにさみどりの日の当たりけり

その太幹の中程に機械で開けたような小さな穴を見つけたが、あとで調べると赤ゲラ(きつつきの仲間)の仕業らしい。そういえばそれらしい鳥影も見えた。

雪解けはこの数日の暖かさで一気に進んでいるようだ。燦々とした春日では、1日30センチ以上も融けるとも言う。
時々、ゆるやかな傾斜もあるが、総じて平らなコース。
両手のストックを交互に雪に差し込んで白樺を縫うように進む。
一応夏道を行くが、どこをどう行こうと自由なのが、スノーシューの雪原歩きの醍醐味。
夏場なら1メートル近い丈の笹や藪で歩けないところだが、ショートカットして歩く。
 (※写真②)









突然、北側からのスキー跡と交差する。山スキーの連中にとっては傾斜が少ないので、まあクロスカントリースキーみたいなものか。(本格的な山スキー ※写真③、④、⑤)



























戦場ヶ原方面に一直線にシュプールが伸びている。

   山笹にばさと飛び散るスキーの雪

しばらくして、やや風が出てきたと思ったら、ぱらぱらという音がした。
驚いて見上げると何かきらきらするものが、降ってくる。
霧氷だった。今朝は冷え込んだので、枝々の霧氷が風と陽気で落ちてきたのだ。
その落ちてきた霧氷を口に含む。冷たいが、歩いて来てやや温まった身体には心地良い。

もう30分は歩いただろうか。
雪上に黒豆みたいなものが見える。鹿の糞だ。
このあたりは、鹿の害がひどく、たしか小田代ヶ原あたりも鹿に荒らされないために
進入防止柵や電流柵があると聞く。

奥日光から金精峠を越え、尾瀬ヶ原にも日光の鹿が侵入し湿原を荒らしていると言う。
航空写真が写した「尾瀬ヶ原」には無数の鹿の踏み跡が見られる。

幹の皮が剥がれて痛々しい姿をとどめる樹があった。
鹿が食べたのか、あるいは角研ぎか。
もう笹も雪上に顔を出しているので、それを食べればとも思うが、彼らには小さな木の皮も美味いのだろう。

遠くで雪崩の音がする。
この季節の午後は雪崩の時間。まあ今いるところは全く心配ないが、、、、。
関東以北で最高峰の奥白根山(2577.6米)の前衛峰の外山(2204米)、湖上山(2109米)の谷筋だろうか。
真近だと、腹にどすんと響く衝撃がすざましいが、遠いためか遠花火の音の様でもある。
ふと、藤田湘子の第一句集「途上」の奥日光と前書きの「引鴨に一夜の雪や前白根」を思い出した。若き湘子の叙情の迸る筆者愛唱の句だ。

振り返ると自分が歩いてきた跡が延々と続いているのも、雪原歩きの嬉しさのひとつで、爽快な労働のあとがくっきりと残っており、自分を褒めてあげたい気持ちにもなる。
このあたりも、普通の靴なら30cmは沈むだろうか。
雪原は一度踏み抜くと、靴の周りの圧雪が固まり足を雪原に出すのも難儀なものとなる。

落葉した樹々の上から、早春の太陽が照る。
この季節、雪と太陽の双方からの光線は眩しい。
休憩がてらに、顔と首筋に日焼け止めクリームを塗り、サングラスをかけた。

白樺やぶなには、しっかりと冬芽がついている。
唯一冬も葉を落とさない石楠花にも尖った冬芽が見える。
彼らも今か今かと出番を待っているようにも見え、いじらしい。
森の精は休んでいるのだろうか。静かだ。

ぶなは根の周りの雪が、あたりよりいち早く融けて、丸い窪地となる。
その窪に兎らしい糞と小便あとの沁みた黄色い雪があった。
鹿、兎はその繁殖力がすざまじく、当然その足跡等もよく見られる訳だ。

このぶなもあと1ヶ月少々で一気に芽吹き、目に鮮やかな新芽そして新緑の葉を漲らせることだろう。まさにスプリング真近と言える。

戦場ヶ原・三本松の民宿の主人から聞いた話しだと、戦後海外から引き揚げて戦場ヶ原の東の原野(当然に大半は林)の開拓に従事。片道1時間半をかけて、下の中禅寺湖の小学校まで通ったとのこと。桜も湖畔より1ヶ月弱遅く、霜の降りないのは6~9月の4ヶ月間のみ。
そんな厳しい自然環境のため、米麦でなく高原野菜栽培だったと言う。
但し、最近は、地球温暖化現象のためか、以前より半月以上も、季節の訪れが早まったと首を傾げていた。

程なく、戦場ヶ原展望台に着く。
まだ一面の雪原だが、白樺がほど良い間隔で茂っている。真正面に太郎山(2368米)。
どっしりと存在感あり、その山麓あたりが光徳牧場かなと目処を立てる。
しばらく、雪の上に腰を降ろし、展望を楽しむ。確かな春の息吹が光線からも感じられる。
こんな時に、尻に敷くのは、もう20年以上前から愛用の「狸の尻当て」。
何となく「またぎ」になった気分をいつも味わう。さすがに雪の冷たさも湿りもない。

ふたたび、誰一人歩いていない雪原を小代田ヶ原に向かう。

みずならの大木に洞がある。よく栗鼠やヤマネの巣があるが、棲んでいる気配はない。
この大木には、「キケン注意」の木札が付いていた。上の大枝が折れて落ちてくるらしい。
大枝を空に吸われる様に拡げている姿は感動的だ。
ふと拙句「みづならは綿虫の来る淋しい木」を口ずさんでいた。
雪原にやや黒い小粉が散ばっていたが、みずならの樹皮だろうか。

どこを歩いても良いということは、どの景も同じであるため、霧や吹雪でホワイトアウトの時は、磁石等で位置を確認しないとパニックに陥る。
筆者も何度か経験しているが、一瞬に霧が出る場合もあり油断は出来ない。
磁石、高度計、GPSがあれば、安心だ。

時々、兎か狐らしい小動物の足跡がある。
北海道の山では、羆の足跡、糞で緊張したこともあるが、奥日光のこの季節では、熊はまだ冬眠中だろう。但し、春以降のこの場所は熊避けの鈴、笛が必携だ。

雪面にコナラの葉が、葉脈だけの標本みたいになって落ちていた。
その葉先に少し融けてきらきらと光る雪片が美しい。

遠くから、トントントンと木を突く音がして、しばらくすると止んだ。
そしてまた始まる。先ほど見た、赤ゲラやコゲラだろうか。
静謐な時間の中をコゲラが樹を突く音が小気味よい。
この空気の何とも言えぬ豊かな安堵感!

小代田ヶ原の鹿進入防止柵を入ると、戦場ヶ原と違いやはり雪が深い。
兎かそれを追う狐の足跡が誰も触れてない雪原に遠く伸び消えている。

さあ、雪上の最大の楽しみの食事の場所は、小田代ヶ原の大雪原の真ん中という贅沢。
今度は、奥日光の主峰・男体山(2398米)が真正面だ。
ガスコンロで湯を沸かし、クロワッサン、ハム入りサラダ、シチューにコーヒー。
そして、デザートの伊予柑が美味い。

雪を融かしても良いが、今回は水筒の水を使う。
のんびりと小一時間を過ごす。この季節の午後は、日が差しているとそう寒くもなく
雪原一面に広がるコーヒーの香りの至福感に浸る。
寒さが厳しい時は、毛糸の目出し帽が不可欠だが、今日は不要のようだ。
そう言えば煙草を止めて10年くらいになるのかな、、、以前なら紫煙を胸一杯吸い込んでいたし、うまかったが、、、。
スノーシューの良さは、登山の様に気合を入れずに日常と同じ感覚で歩き出して、殆ど息も乱れず、直ぐに非日常の世界に浸れることかも知れない。
自然との肩肘を張らずに向き合うことも最大の魅力なのだろうか。
登山は登山で、その良さも限りなく魅力的だが、、、。

のんびりと往路を戻る。自分が来たトレースを忠実に辿る。
このトレースはホワイトアウトの際には文字通り生還の唯一の道標ともなるが、雪が降り出したら、あっと言う間に消えてしまう。

のんびり歩いて1時間少々で赤沼パーキングに着く。
戦場ヶ原の白樺の疎林を見た後、湯元の温泉に浸かり千葉の自宅に戻った。


参考文献:「雪上ハイキング・スノーシューの楽しみ方」 瀬戸圭祐著

写真: ①スノーシュー
    ②戦場ヶ原展望台手前
    ③岡山県津山・奥津温泉近郊 泉山(1209米)3月春雪山行
    ④、⑤ 日本百名山、新潟県魚沼・巻機山(まきはたやま、1967米)
     ④:割引岳山頂、⑤:御機屋
     ともに春山スキーのメッカ(勿論、スノーシューもOK。)
     5月の連休でこの雪量!、以前はスノーボーダーも登って来ていたが最近は見かけなくなった。

地図:戦場ヶ原付近

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