2010年1月15日金曜日

 ― 欲望と郷愁 ―

  人参を積みて市場の口笛よ    青山茂根


 正月休みに、海外へ行くなら、南の島より、やはり寒いところが好きだ。クリスマス前から休みを取り(クリスマスを過ぎるとチケットが高くなるため、まあそんなに会社を休めないから結局近場の南のリゾートへ行くのだろう)、現地の本場のイルミネーションを寒さに震えつつ見て歩く(体中に靴の中にも使い捨て懐炉を貼っていても、ところどころでカフェに入らねば凍える)。どんな小さな通りにも、その通りごとの意匠をこらした電飾が点されていて、日没の早い、欧州の冬を感じる。通常から街灯が暗めに設定されているため、この時期のイルミネーションがひときわ印象的に映る。と、夢のように美しいコペンハーゲンの街でも、鉄道駅の裏側の通りには「○ex shop」の看板が並んでいて、どこにも欲望はある。

 たいていの教会には、表の扉を入ったところにミサやオルガン演奏の日取りと時間を知らせる小さな紙が貼られている。地味なところだが、レアールにあるサントゥスタッシュ教会のパイプオルガンが好きだった。天上から、容赦なく降り注ぐ、というにふさわしい、荘厳さを通り越した神の力そのものの強い音色だ。あの銀色のパイプが神の手のようで、大いなる指に摑まれそうだ。どこの教会も、失礼でない身なりと、わずかでも献金を忘れない。あとは、騒がない。

 大都市を離れて、電車で近くの郊外の町を訪ねるのもいい。どこの町にもある小さな市場の賑わいを眺めたり、ちょっとした古道具屋兼骨董屋はたいていの町にある。大都市の街中よりずっと値段も低く、小さなものを一年間働いた自分へのご褒美に。ただ、どこも店じまいは都心よりかなり早いので気をつけなくては。町を一回りして後でもう一回来よう、と思っていると既に閉まっている。

 大きな、ターミナル駅も、その季節はクリスマス休暇でふるさとに戻る人々ばかりだ。駅中のカフェや、走り出す前の列車の窓で、様々なドラマが繰り広げられるのを見に行く。古い駅舎の、優美な天井のアーチ、様々な列車の落ち着いた色調とデザイン。そこで切符を買って、国際列車の旅に移るのも好きだ。国境付近で始まるパスポートチェックにもお国柄がある。雪山へ近づき、トンネルを抜けて、また違う街の、異なる歳末がある。

 大晦日のスーパーは、炭酸入りの水の大きなペットボトルをかごに入れた人で溢れている。除夜の街のあちこち、誰からともなく国歌を歌い始め(日本でそんなことしてたら右翼と間違われそうだ)、橋の上に、銅像の前(銅像に乗っている人も)に、広場に、それこそ黒だかりに大勢の人が集まってくる。革命でも今ここで始まるかのような、民衆の力を感じる瞬間でもある。カウントダウンが始まり、日付の変わるその瞬間に、「新年おめでとう!」の声とともにペットボトルの中身を宙へ振りまく。誰も高価なシャンパンをそんなところでムダに使わない。よく振った、ガス入りの水なら、服も頭もべたべたしない。自分で持っていかなくても、ただそこに集まっていればもれなく知らない人々からその洗礼を受けられる。そんな街の警備にあたっている警官が、パトカーの脇で、シャンパンの壜(スパークリングかもしれないが)をラッパ飲みしているところは見たが。

 歳末の街は、いつもと違う表情をしている。日本のどこかでも、海の向こうでも。とりあえず、もう十年どこにも出かけていない。バレエ鑑賞、というより本場の劇場建築(マリインスキー劇場はバイオリンソロとかのときにオーケストラピットが上がる!それが終わるとまた下がる!)と舞台美術(来日するときは全てのセットを持ってこないのだ)が今むらむらと見たくてたまらない。大体、日本公演の値段が高すぎる。ミラノスカラ座だって、公演数日前に出るキャンセル席の割引チケットを取ると、五千円程度であの歴史ある建築のクラシックなバルコニー席で見ることができる。というわけで、いつになるかわからないが、目指せサンクト・ペテルブルグ!
 

0 件のコメント:

コメントを投稿