2009年8月31日月曜日

リズム

風邪でダウン。一日中寝ていたらすっきりした。疲れがたまっていたのかな。今回はyoutubeでも貼り付けてお茶を濁そうと思っていたのだけど、俳句のリズムについて少し。


俳句のリズムは五七五。七五調は日本古来より云々という話はどうでもよい。リズムがいい。リズムがある。とりあえずそれでいいのだが、小澤實の『俳句のはじまる場所』で引用されている坂野信彦によると、日本語は二音一単位で発音する言語で、日本語の律文(韻文)はほとんど四拍八音分の音量でできているという。七五調はエイトビートなんだな。で、七と五という奇数がミソ。かならず休符が入る。間ですね。これがリズム、ノリ、グルーヴを生み出すわけだ。上の句と下の句の字余りは許容されるが、中七が中八になるのは禁忌とされるのもわかる。中八になると、間がなくなってしまう。ノリが消える。中七が持っている一拍の休符、これをどう活かすかが大事。中七が俳句のリズムのいのちを握っているんだな。

俳句はリズムが大事、とよく言われるが、多くの場合、それは五七五が大事、という話に終わる。そんな簡単なものではないだろう。五七五になっていればリズムが良いということにもならないし、字余りでもリズムが良いということもある。僕は一時期、五七五より七七五のリズムの方が気持ちいい、ということがあった。五七五だと単調に感じてしまって、つまらなかったのだ。七七五が生み出す、頭から突っ込んでいく感じの、独特のグルーヴ感がたまらなかった。

字余りや、句またがりの持つ複雑なリズムを、単純に五七五ではないからリズムが悪いというのは違う。五七五のリズムをきちんと内在化したうえでの字余りや句またがりは、新しいリズムを提示する。リズムの冒険なのだ。その上で失敗か成功か、気持ちいいかわるいか、面白いかどうか判断してほしい。16ビートの曲なのに8ビートで聴かれて、リズムが悪いと言われても困る。

むかし、ロックのコンサートでは、客の手拍子はみんな「タン、タン、タン、タン」と頭打ちだった。それがいつしか、「ン、タン、ン、タン」とウラ打ちの手拍子に変わった。そういうことが、俳句の世界にもいつかやってくるだろうか。単純に世代の話でもないと思う。「俳句はリズム」というなら、もっとリズムに敏感になりたいものだ。


   穴開きしれんげや冷し担々麺    榮 猿丸

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