2009年8月28日金曜日

― 足元には歌 ―

              キャラバン
  鈴虫を連れ隊商の最後の一人       青山茂根


 秋の気配の漂い始める夕方ばかりでなく、桜の頃の砧公園も外せないが、万緑の季節、緑の絨緞に寝転がって空を見上げるのも好きだ。世田谷美術館に毎回足を運ぶわけでもなく、ただぼーっと過ごすため(といっても、子供とサッカーやバドミントンをしたりが合間に入る)だけに訪れる。最近の意外な発見は裏手の大蔵公園に近い芝生広場の一角に、平日の昼間、上半身裸の男性が何人も寝転がっていたこと。もしかしてハッテン場なのだろうか、その方面に疎いのでよくは知らない。が、一定の距離を置いた半裸の男ばかりが万緑の中に寝そべるさまは、その静寂さとともになかなか奇妙で印象的な光景である。スーラの絵『グランド・ジャット島の日曜日』(そっちはちゃんと服を着ているし男女とりどり)なぞを唐突に思い出してしまったことに自分でも驚く。 そういえば、あの構図も不思議だ。
 
 用賀駅北口から、一キロほど続いている遊歩道には様々なデザインの淡路瓦が敷き詰められていて、そこに小倉百人一首の歌が刻み込まれている。昨年、学校で五色百人一首の遊びを教わった子供と、一つ一つ辿りながら歩く。といっても子供なので、すでに大分忘れてしまっているのだが。またその刻まれた文字が数種類あって、達筆すぎて判読できないものから、高学年の子供が一生懸命書いた釘文字みたいなものまであって、妙に味わいがある。俳優たちの手形が敷石に埋め込まれたハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターのように、立ち止まって、口ずさみつつ、両脇の水の流れやオブジェよろしく置かれた鬼瓦で遊びながら歩くと、公園の緑が目に入ってくる。

 先日、年賀状の整理をしていたら、親戚の住所に「高師浜」とあるのに今更ながら気がついた。「音に聞く高師の浦(『金葉集』には浦、『百人一首』では浜となっている)のあだ浪は・・・」の地だ。幼い頃、南海鉄道高師浜線(これも今や鉄道マニア向け路線らしい)の伽羅橋駅に降りて、その親戚の家にも行ったことがあるはず。だが、古い歌枕の地であるとは全く知らなかった(自分が無知なだけだが)。コンビナートが立ち並び、すでに白砂青松の面影はないというが、地名さえも、人々の記憶から失われてゆくのは惜しい。

 句碑や歌碑は全国に増えてゆくが、この大きな公園と美術館に続く「いらか道」のように、足元に刻まれた句や歌を辿りながら歩く、そんな道があちこちにもっとあっても楽しいだろう。

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